生い立ち

 本名 種田正一、明治十五年大地主(現防府市八王子)、種田家の長男として生まれる。十一歳の折、母フサが自宅の井戸で投身自殺。このことが生涯、山頭火の心に襞となっていきます。明治三十五年早稲田大学文学科に入学しますが、時はヨーロッパの自然主義文学運動の勃興期。多感な山頭火は、この新しい文学の洗礼を受けます。このことも山頭火文学の骨子となってゆきます。そして種田家の破産、育ての母、祖母ツル、弟二郎、父竹次郎の死があい続き、妻サキノとも戸籍上の離婚をします。大正十四年、四十四歳で出家得度し、翌年、行乞流転の旅に出ます。
「孤貧に徹せよ。それが私に残されたる唯一の道である」と言っています。
 旅の中で句を作り続けますが、その俳句は「自由律俳句」です。自由律俳句は月並俳句の季題や定型を排し、実感を重んじる新境地を開いたもので、碧梧桐や荻原井泉水等が提唱したものです。それまでの客観写生ではなく、内的生命を詠むものであり、勢い自由律へと発展したものです。山頭火の句に「孤寒」と題されたものがあります。山頭火の稀有の生涯が、孤独を導き出し死を意識させ、望郷の念をいだかせました。ここから山頭火独自の哲学が生まれ、自由律俳句を確立しました。山頭火は、この内的生命の表出に身を削りました。しばしば暗示的であり、象徴的であります。これも又、山頭火文学の奥の深さであり、芭蕉と対比しています。しかし芭蕉が山頭火の時代に生きたとすれば、恐らく自由律を選んだことでしょう。山頭火は自由律の道を選ぶことによって、芭蕉に迫ることが出来たともいえます。どちらが正道というのでなく、時代が芭蕉と山頭火の二人の巨人を歴史に刻んだのでしょう。

   山頭火ふるさと会 記
年表
年号 西暦 年齢 内容
 防府時代
明治15年 1882年 1歳 山口県佐波郡西佐波令村第136番屋敷(現・防府市八王子2丁目)にて、
12月3日に誕生。竹治郎・フサの長男。本名正一。
明治22年 1889年 8歳 佐波村立松崎尋常小学校に入学。
明治25年 1892年 11歳 母「フサ」(33歳)自宅の井戸に投身自殺。
明治29年 1896年 15歳 私立周陽学舎(現・防府高校)に入学。学友と回覧雑誌発行。
明治32年 1899年 18歳 山口尋常中学第四年級に編入。
明治34年 1901年 20歳 東京専門学校高等予科に入学。
明治35年 1902年 21歳 早稲田大学大学部文学科に入学。
明治37年 1904年 23歳 早稲田大学を神経衰弱にて退学。帰郷。
明治39年 1906年 25歳 吉敷郡大道村の酒造場を買収。
明治42年 1909年 28歳 佐波郡和田村佐藤光之輔の長女「サキノ」と結婚。
明治43年 1910年 29歳 長男 健誕生。
明治44年 1911年 30歳 郷土文芸誌「青年」に参加。弥生吟社・椋鳥句会に参加。
定型俳句の俳号「田螺公」。椋鳥会五句集(回覧雑誌)。
大正2年 1913年 32歳 自由律俳句誌「層雲」に出句。個人雑誌「郷土」創刊。
俳号「山頭火」を宣言。
 熊本時代
大正5年 1916年 35歳 古書店・額縁屋「雅楽多」を開業。
大正8年 1919年 38歳 単身上京。額縁行商。「東京市セメント試験場」アルバイト。
 祖母「ツル」死亡。
大正9年 1920年 39歳 妻「サキノ」と戸籍上の離婚。「一ツ橋図書館」臨時雇。
大正10年 1921年 40歳 父「竹治郎」死亡。「東京市役所」事務員。
大正11年 1922年 41歳 「東京市役所」事務員を退職。額縁行商。
大正12年 1923年 42歳 関東大震災に遭遇。熊本に帰郷し仮寓。
大正13年 1924年 43歳 泥酔して市電を止める。報恩寺に連行され、禅門に入る。
大正14年 1925年 44歳 曹洞宗報恩寺で出家得度。味取観音堂の堂守。出家名「耕畝」。
 漂泊行乞時代
大正15年 1926年 45歳 一笠一鉢の旅立ち。九州地方行乞放浪の旅。防府にて「改名届」。
昭和2年  1927年 46歳  自筆ノート「行乞記」。
昭和6年  1931年 50歳 山陽・山陰・四国・九州地方の行乞。熊本で「三八九居」の自炊生活。
ガリ版刷個人誌「三八九」編集発行(1〜3集)。
 庵住の時代
昭和7年 1932年 51歳 山口県川棚温泉で結庵希望挫折。第1句集「鉢の子」刊行。
小郡町矢足「其中庵」を結庵。「三八九」(4集)。自筆ノート「其中日記」。
昭和8年 1933年 52歳 第2句集「草木塔」刊行。「三八九」(5〜6集)。
昭和9年 1934年 53歳 福岡・広島・神戸・京都・名古屋東上の旅・信州飯田で病む。
昭和10年 1935年 54歳 第3句集「山行水行」刊行。自殺未遂、死場所を求めて旅立つ。
昭和11年 1936年 55歳 第4句集「雑草風景」刊行。自筆ノート「旅日記」。
近畿・関東・甲州・信濃・北陸への旅。平泉中尊寺から引き返し永平寺参籠。
昭和12年 1937年 56歳 第5句集「柿の葉」刊行。自筆ノート「其中日記」。
昭和13年 1938年 57歳 山口市湯田温泉「風来居」結庵。中原中也の弟、呉郎と深い文学交流。
昭和14年 1939年 58歳 第6句集「狐寒」刊行。近畿・東海・木曽への旅。自筆ノート「旅日記」。
四国へ渡り四国遍路松山「一草庵」へ入庵。
昭和15年 1940年 59歳 第7句集「鴉」刊行。一代句集「草木塔」刊行。自筆ノート「松山日記」。
中国・四国・九州への旅。
      10月11日未明松山市一草庵で死亡。

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